Rain maker

ナスノミツル Nasuno Mitsuru

Rain maker

¥2,160(税込)

Jigen-014

2015.10.31 in store

『え、これベースソロ!?タンジェリンドリームの未発表曲かと思った!』
吉田達也

「Is This bass solo! ? I thought it was unpublished songs of Tangerine Dream! “」by Tatsuya Yoshida

Tenelevenのリーダーであり、国内屈指のエレクトリックベース奏者にして即興-演奏家であるナスノミツルによる驚愕のソロアルバム。
「rain maker」はナスノミツルによる新しい即興の形である。エフェクターを駆使し、フィールド録音音源を同時に演奏する事で即興演奏ながら即物的ではない、壮大な物語を作り上げた。場面の転換やその起承転結にこれを聴く者はまるで映画を観ているようなストーリーに惹きこまれていくだろう。

rain maker part 1. 13:26
rain maker part 2. 10:40
rain maker part 3. 06:03
rain maker part 4. 07:36
rain maker part 5. 25:25
total time. 60:10

Nasuno Mitsuru : electric bass , electric devices, effects, samplings ( includes the sounds of nature )
all tracks was played in improvisation not overdubbing and edit.

recording by Nasuno Mitsuru on july / 2015.
mix by Miyamoto Takashi on august / 2015
mastering by Owa katsunori at studio You Osaka on September / 2015

album concept by Nasuno Mitsuru
cover photo by Hiroshi Takaba
designed by Miyamoto Takashi

produced by Miyamoto Takashi (jigen-production)

Rain maker

雨の音を背景にベースの弦をタッピングする反復音が続く。どこか祈りのようなムードもあるし、祝祭めいた空間がある。やがて晴れ間が現れ、更にその澄み切った空気の中から雷鳴のような音響と共に豪雨、そして静寂へと流れていく。
ナスノミツルはこの作品で何が言いたいのか。何を伝えたいのか。否が応でもそんな事を想像せざるを得ない特異な音楽とも言えよう。一連の物語が終わった時、私達はまるで感性を更新されるかのような時間を過ごしていた事に気付くのかもしれない。

‘ベーシストならぬ音楽家ナスノミツル’が立ち現われたのはいつか。ソロアルバム「prequel oct.1988-mar.1999+1
(2008)は私達にテクニカルなインプロ、ジャズロック系ベーシストという表の顔の裏にあったナスノミツルの内奥を垣間見る事ができる契機となった作品であった。即興と楽曲の演奏という二つの領域におけるマイスターである彼に加わったもう一つの本質は果たしてダークな精神世界であった。それはやがてリーダーバンド、teneleven(テネレヴン)に結実する。しかも私に語ってくれた事によれば、その内向性に満ちた精神的な要素をナスノは学生時代のバンドSCHWARZ(シュヴァルツ)に原点を持ち、現在でもその影響下にあるという。それは即興に出会う前の彼の核心を形成した時期における音楽との一体化の営為であったと推測する。SCHWARZにあったニューウェーブ~プログレッシブな感性、実験的音響とリズムのグルーヴを共存させ、尚且つ、そこに耽美的な旋律を奏でる。そんな要素をもったSCHWARZこそが彼のコアを形成するものであった事を彼はこれまで公言した事はなかった。

アルタードステイツや是巨人、その他、数多の尖鋭的なグループでナスノミツルが見せるあの爆発的なベーステクニックやインプロヴァイズのスリリングさに私達は長年、目と耳を奪われてきた。彼の演奏力とは多くのミュージシャンが認めるその対応力や緻密さ、準備の万全さ、あるいは誠実な実行力をも含めた彼の表現力の為せる技でもあっただろう。そういった中、彼は自分自身の音楽を見つけ出す旅をずっと続けてきた。リーダーバンドtenelevenの衝撃的ともいえるダークな内向の世界。そこで彼はテクニックをほぼ、封印し、バンドサウンドのコンセプトの徹底を図ったといってもいいだろう。

彼は興味深い事も語ってくれた。曰く「譜面やデモテープがあればその通りに演奏するだけじゃなく、その先を知りたいという気持ちがあります。曲の先に何が待っているのかを知りたいという欲求ですね。作曲者のイメージ通り、譜面に忠実に弾く事はマストであり、普通の考え方だとそこに行く為にどうしようかという事になりますが、私にとってはそこはまだ0です。そこから先の方が重要です。先を知りたいということはその曲を完全にモノにするくらい弾きこんでいく中からしか出てこないと思います。」
これは私の「なぜ、多くのアーティストがナスノさんとの共演を望むのか」という質問に対する彼の答えの一部だったのだが、そこから覗えるのは、彼はどこまでもイメージやビジョンを探求するアーティストであり、単に譜面を弾いて終わる演奏者ではないという徹底した姿勢の持ち主であるという事だ。従って、それは自分の音楽を表現する時も、他者の楽曲やバンドで演奏する時も全てを分け隔てなく同等の視点で臨む。ここに彼の真髄がある。それは換言すれば他者をリスペクトする証左でもあるし、自己表現と他者の音楽フォーマットでの演奏の境目を取っ払って尽力するナスノの拭いきれないアーティスト気質の証拠であり、存在証明でもあろう。そういったナスノミツルの姿勢に私は音楽の心棒者の姿をみる。彼は音楽を信じている。いわば、その力を。

「私の音楽は音だけ聞いてもすごく捉えどころがないというか、朝聴いて元気になる種類のものでもないし(笑)、悲しい時に聴く音楽でもないし、普通だと取り扱いにくいんだと思うんだけど、まあ、‘違う自分の扉をあける’というか、人の違う部分を見せるそういった種類のものかもしれません。」
言葉の謙虚さの裏にある志の深さを想起されたい。
ナスノミツルはギミック的に驚異の感覚を作りだすのではなく、自分の内奥への旅を他者へ報告するかのように真正直に音楽を作り出す。そしてそれが聴く人を照らし出す時、他者との本当の繋がりへと至る事をイメージするのだ。

ナスノミツルが作り上げた大作「Rain maker

彼の新たなビジョンが全編に満載された不思議な冒険のような物語が奏でられる。留意されるべきは、この構築的な音楽を彼はワンテイクの即興で作ったという事だ。装飾やオーバーダブを拒否し、まるで一筆書きのような潔さで一気に演奏を行った。従って私が最初、受け取った音源には所々にノイズや音色の落差が散見され、その即興の激しい道程、まるで茨の道を歩いてきたかのような傷や凹凸がそのまま記録されていたのである。私はミックスにおいて全体の統一感と拡がりを施したのであるが、逆にナスノミツルの即興へのこだわりという本質を再認識できたとも思っている。通常、コンセプトアルバムやこのような起承転結をイメージさせる音楽は細部への配慮を意識し、アレンジや再構築によって完成させていくケースが多い。対し即興はあくまで音の即物的な表現とも言え、構成主義的なものからははなれていく。ナスノミツルはいわば、複雑な物語をインスピレーションを頼りに即興という瞬間の妙技で遂行しようとしているのだ。彼が誇らしげに記した<ダビング、編集、コンピューター一切無しのソロベースのインプロ作品です>の言葉にナスノのオリジネイターとしての自負心を感じ、彼の語った次の言葉に合点が行く思いがした。

「最終的にtenelevenは即興のグループにしたいと思っています。即興のための共通言語を培う為に、ああゆう曲を作って、それがメンバーの共通言語になった時に、それを取っ払って演奏した時にこのグループじゃないとできない即興の在り方がでてくると思います。ですから今は曲をやってますけど、それは共通言語をメンバーが持つためのトレーニングなんです。」

アレンジ豊かな場面転換を多用するtenelevenの音楽を即興で演奏するとどうなるのか。そもそもそれは可能なのか。ナスノの言う共通言語とは演奏者が先の展開を読む事に関するある種の究極的な鍛錬を思わせるし、イメージを共有する事で起こりうる化学反応を期待する事のようにも感じられる。
即興について独自の解釈を持つナスノは同時に次のようにも語った。
「音の会話というのは即興の初期段階であり、むしろその次にステップしたい。即興の本当のマジックとはそれぞれがその人の音を出して、ある時、同じ瞬間に音が合う、同時に同じ言葉が発せられるような種類のものだと思う。」
音の会話、応酬といったレベルを超えた所にあるいわば‘共振’の領域の事であろうか。私は彼のこれらの考えからtenelevenで目論んでいる即興が音を即物的に捉えるインタープレイではなく、何らかのストーリーメイク、そしてビジュアルイメージの共作を図るものである事を推測する。しかもそれはナスノミツルのソロ演奏においても同様の指向性なのだと。

ナスノミツルが即興で作り上げた壮大な叙事詩とも言うべき「Rain maker」。
その音楽は彼の手を離れ、奔放に動き出す。それを聴く者は自由なイマジネーションの旅に向かい、その途中どこかでナスノミツルと出会うのかもしれない。

2015.9.20
宮本 隆(時弦プロダクション)

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ナスノミツル ロングインタビュー  2015年9月  聞き手 宮本 隆

●今、離場有浮Ⅱ(2014)を聴いていました

離場有浮/リヴァーブ(2008)、ソロ名義の初期作品ですね。メンバーは私、灰野敬二さん(g)と石橋瑛子さん(ds)。レコーディングでは激しい曲なども含めてとにかく沢山録ったんですけど、即興的に記録したアンビエント曲が妙に気に入ってしまって、制作途中にこの部分だけでリリースしてしまってもいいかなと、かなり地味な作品なんですけどこれは今の自分の出発点になった感じです。
それ以降、第二弾を出したいとずっと思っていたんです。それで残った録音の中から音源を完成させようと思ったんですけど、なかなか思うようにミックスが進まなくて一度棚上げして、また一から(笑)。今作はほぼ一人で作りました。それでレコ発を昨年の1月に中村達也さん(ds)とSachiko M さん(Sign Wave)、tenelevenの坂口光央クン(key)の4人でやりました。

●ナスノさんのサウンドの特徴で反復させながら音を変調させますね。ピッチモジュールですか。離場有浮Ⅱでもピアノの音までも豪快に変調させている。あのあたりが単にアンビエントな心地よさというよりも空間を捻じ曲げるような効果があるのではないですか。

`音の揺らぎ`ということに関しては、その重要性をいつも感じています。
でも普通バンドの中で曲を演奏する際は楽器のピッチが`狂っている`ということになるんですよね、この状態は。一般的な音楽で成り立たないことはソロに於いてのみやろうと(笑)。ソロのプロジェクトでは可能な限り`揺らぎ`の部分に焦点を置いて構築しています。

●その‘揺らぎ’がナスノさんの一つの快楽原則という感じですか。

はい、いつからそうなったかはちょっと解らないんですが。

●あまりその種の音楽がないと思うんです。ドローンやアンビエントというのは基本、反復ですので。

たぶん、平均律に対するアンチテーゼじゃないけど、そういった感覚が芽生えて来たかもしれないですね。それは灰野さんに触発された部分が大きいです。灰野さんには独自の音楽解釈があるんですけど、その中の一つに平均律ではない、例えば四分の一音とか、さらにもっと細かくピッチが微妙に違う繊細な音が音楽の幅を極端に広げる、という事を教えてもらった経緯があってそれに大変共感した覚えがありますね。

●それは灰野さんから言葉で明確な形で説明を受けたのですか

そうですね。はい。

●今のお答えで私は灰野さんの昔のインタビューの記事を思い出しました。確か「マーキームーン」というプログレ系の雑誌の中でクラウスシュルツの事を「発信器だけでやれるもんならやってみろ」みたいなちょっと過激な事を語った流れで、シドバレットが好きな理由として、原型的なシンプルなことをやりながら‘揺らぎ’や‘ゆがみ’を加えていると。確かそのように答えておられたように記憶します。

そうですね。特注のフレットレスギターをライヴに持ち込まれたことも何回かあって、この表現の実践には大きな可能性を感じました。

●私にとってはナスノさんのファーストアルバム『prequel oct.1998-mar.1999+1』(2008)
がすごく驚きの作品だったんですが、それは普段のバンドフォーマットの中でのナスノさんの演奏しか知らない中でのあの内面的な世界に対する驚きだったんです。テネレヴンは皆が驚いた音楽性だったと思いますが、あのファーストアルバムがある意味、テネレヴンを予見させるようなものだったと思います。それはあの内面的な音楽、精神的な世界という意味でですが。そこでナスノさんはどういったものの影響でこのようの音楽世界に至ったのかということが興味を引いたのですが

一つは色んな人と色んなジャンルの音楽をやってきて、本当に様々な音楽を経験してきた中で、自分だけの響きを抽出するとしたらどのようなものになるのかという思いがあったんですね、 今も続いてますけど。これは自分から湧き出る多くのフレーズを吟味し、その中から新しいと感じる音を模索するということです。ベース弾きとしてはかなり経験を積んできましたし、さらに音楽家でもありたいという気持ちが強くあって、自分の音楽を探すという作業を20年位ずっと続けてきたんです。
ファーストソロ『prequel oct.1998-mar.1999+1』はですね、SCHWARZ(シュヴァルツ/ナスノミツルが学生時代に在籍したバンド)時代のカヴァーが中心なんです。音的には1980年代初頭のニューウェーブ色が強かったバンドです、京都のEP-4なんかに強く影響を受けてた。それでとにかくSCHWARZの音楽には大きな手ごたえと希望を感じていたのですが、最終的にバンドを解散しなければならなくなってその事に対する後悔の念がすごく強く残ったんです。音楽を作ると同じくらい重い出来事で、それがずっと消化しきれないまま残っていた。

●それはちょっと興味深い話ですね。SCHWARZ(シュヴァルツ)を私は当時(1983~5年)、何度か観てますが、それが今でもナスノさんの音楽性に繋がるものを持っていたとは。割ともう、学生時代の事で、ご本人の中である意味、清算されているのかと思ってました。

はい、宮本さんはこのバンドの数少ない目撃者ですからあえて言いましたけど、三十年くらい前の事ですし、ほとんどの方はご存じない話だと思います。

●シュヴァルツの音楽性の中でナスノさんがサウンド面でリーダーシップを取っている部分も大きかったのですか

リーダーは軽音の先輩だった渡辺さんというとても才能ある方でしたが、‘同期もの’の走りのようなバンドだったので、ベースパートの他にいわゆる`打ち込み`は私のアイデアで作っていました。STACK ORIENTATION 制作の「KYOTO NIGHT」という、当時の京都のアンダーグラウンドシーンを代表するバンドのオムニバスアルバム(他 EP-4、junk jangle genre etc)でその音は聴く事が出来ます。私にとって音楽を作っていくという意味で最初の体験であり、このまま過去にするのは口惜しいと感じていました。あのサウンドを発展させるとどうなるのかという思いが今の音楽性にもつながり、即興を始める前の段階のものでは自分の一番コアな部分に繋がっていると思います。

●と言う事はシュヴァルツというのは思い入れがあって、音楽の手ごたえを感じながら何とか発展させたいという思いがありながら終わってしまったバンドだったんですね。

学生バンドの宿命だったとも言えます。

●アルタードステイツが始まるまでの期間はどのような活動をされたんですか

90年代初頭まではデビュー前バンドのサポートをしたり、主に京都のライヴハウスを中心にセッション活動をしていました。京都在住のギタリスト岡本博文さんのユニットでRAGに出演した時に芳垣さん(ds芳垣安洋)を紹介して頂きました、1987年か88年です。

●ナスノさんはあまりにもアーティスト気質が濃厚な演奏者だと思ってますが、それにしてもベースのテクニックがすごいです。その習得についてはどのようにされましたか。例えば誰かに習ったという事はあったのですか。

ジャズベーシストの中島明彦さんに短期間ですが習っていました。その時はコントラバスでした。大学のフルバンドに在籍していたのでウッドをやらなきゃならなかったんです。軽音の中にジャズセクションもあって、だからロックもジャズも両方やっていました。まあ習得に関する大半は独学と言えると思います。

●インプロビゼーションについてはやはり、内橋さん(g 内橋和久 アルタードステイツのリーダー)との出会いからになるわけですか

そうです、芳垣さんと内橋さんからアルタード結成に誘ってもらってからです。1989年だと思います。アルタードステイツは記録的には90年の結成になってますけど、少し前からやり始めています。

●私がビッグアップル(神戸)やベアーズ(大阪)でアルタードをよく観に行ってたのは93、4年くらいあたりからなんですが、とにかく刺激的でした。

いやー、初期の5年くらいは試行錯誤の時代です。私はインプロヴィゼーションは初体験ですぐには消化できませんでした。インプロって自分の語り口を見つける作業だと今は認識しているのですが、それがなかなか見つからなかったんですね。かなり悩んでました(笑)。インプロに距離を置いてもいいんじゃないかと思うくらいに葛藤していましたし、焦りもありました。私に言わせると、内橋さんと芳垣さんはあまりにも最初から完成されていてその中に入って行くための切り口、きっかけの音みたいなものがなかなか作れなくて。ファーストソロアルバムにはそういった過去の`自分 vs インプロ`に対する気持ちの反映があったのかもしれません。

●それも意外なお答えなんですけど、ゴッドマウンテンから「mosaic」(95)がリリースされてシーンとしても盛り上がりを見せたと思いますが、あの時期もまだそういった状態でしたか

そうですね。自分の音に拠り所を持てない、という感覚をぬぐい去ることが出来なくてプレイに対する確信を掴めないまま、周りの状況だけがどんどん動いてるっていう感じでした。

●私などは単純に演奏を観て、内橋さんのスピードに満ちた、突っ込み気味な「いくぞ」みたいなところで始まって、芳垣さんが応えていくという型があったように思ってましたが、ただ、やはりナスノさんの出方次第で全体が流れていくという印象があったんです。

そうですね、すごく大まかに分けるとジャズの二人(内橋さんと芳垣さん)とロックの私という感じで、違っていた事で二人にはない切り口を提示していたのかもしれませんが、自分ではその意識すらなかったんです。

●内橋さんがベーシストのタイプについて「上の方ばっかりで弾くのはあまり好きじゃない。下の方でうねっていてほしい」みたいな発言をされていたのを読んだ記憶もありますが、その意味でナスノさんが生み出すグルーブというのは相当、弾きやすいのでなかったと思うんですが。ナスノさんに導かれ、そこに乗っていくというのもアルタードの一つの型だったと思いますが

それもあったかもしれません。ただ、インプロにも色々あるけど、瞬間的に作曲してゆく、つまり即興演奏と作曲の境目みたいなものを無くしたいみたいな話を内橋さんがしていた事があって、なるほどそういう考え方で臨めばいいのか、と思ってからはだんだん楽に演奏出来るようになっていきました。
アルタードは最初から即興のバンドとして存在していたんですけど、聴いている人にとって聴こえてくるサウンドが以前聴いたことがあるような、あるいは似たようなシーンであったとしても、内面的な成長という意味では随分変わって来たんです。最初の頃は手探りで二人についていくというスタンスだったのが、だんだん余裕を持って周りと同調できるようになり、最近では、先を見越して音を作っていく、というか即興曲を完成させるというような意識を持って音を選択していく感覚が増して来たと思います。

●しかしそれにしても内橋さんがナスノさんを誘ったというのも今考えると‘いかにも’なチョイスだと感じますし、すごいのはその後ですよね。大友(大友良英)さんや、灰野さん、今堀(今堀恒雄)さん、鬼怒(鬼怒無月)さん、吉田達也さんといった先端的なミュージシャンの代表格達からのオファーが続き、尖鋭的なバンドのベースにはまるでそこが指定席のようにナスノさんがいるという状態です。数々のミュージシャンが競演を望むナスノさんのその望まれる要因はなんでしょうか。

ベース弾きは隙間産業ですからね、自分の仕事場は確保しないと(笑)。
彼等の楽曲はけっこう複雑であれだけのことをやるのはリハも一回や二回じゃすまない場合も多いわけです、時間がかかります。まあ、自分は忍耐強いほうですからね(笑)。
つまり私はいい加減にやるのは嫌なので、譜面やデモテープがあればその通りに演奏するだけじゃなく、その先を発見したいという気持ちで楽曲に取り組んでいます。曲の先に何が待ってるのかを知りたいという欲求ですね。作曲者のイメージ、譜面に忠実に弾く事はもう当然なので、その欲求はそれらの曲を完全に自作の曲になるくらい弾きこむスタンスの中からしか出てこないと思っています。ある意味、再現したい形に100%近くまでするのはマストで、普通の考え方だとそこに行く為に時間と労力を割く訳ですが、私にとってはそこはまだ0地点なのかもしれません。そこから先の未知の部分への探求がさらに重要と感じます。
そういった姿勢が評価されて呼んでいただいている理由だと嬉しいのですが、違うかな。

●曲を把握して弾くことがゴールなのではないという事ですね。その意識があるから数多のアーティストがナスノさんを誘う。+αを求めて、それを実現してくれるという事ですね。

作曲者というのは少なからず自分のイメージを大切にしていると思うし、もちろん具体的な音列もそうですけど、そこから先にどういった面白い`出来事`が待っているのかという期待も込めて、気持ちは常に即興と作曲を交互に行き交っていると思うんですよね。曲を書くということに関しては、たとえば灰野敬二さんは具体的な音は指定しないのですが、各人が任意に音を選択する事でストラクチャーが成り立つ作曲方式を用いています。`結局、自分の音楽をより理想に近づける為に曲を書くことが近道である。`といった意味の内容をよく話されています。`即興演奏では自分の思い描くイメージが、必ずしも具体化されるわけではないから音は指定しないが、フレージングの作り方は厳格に指定する`。<不失者>にせよ、<静寂>にせよそういったアイデアの基盤があるから非常に斬新で面白い。私はそれぞれの作曲者の`音の組み立て方`を察知しようと心がけています。
どう演奏してよいか分からない音楽は今でも沢山あります、しかしその方法論を多少なりとも理解出来るよう心がけるようになってからはサウンドの構築は素早くスムーズに流れるようになったと思います。もちろんベースという本来の役割も大切です。ある程度、適度な`スペースを保つ`という、それに関しては多少の自負はありますし言い換えれば、土台を作るという意識は常に忘れてはならない、と考えています。

●doubt musicからリリースされた「静寂の果てに」にあるムードはナスノさんのカラーが灰野さんに影響を与えている部分というのはないですか。

いやー、それは明らかに逆でしょう。

●時系列的に聴いてないんで、感覚的な感想なんですけど

う~ん。少しの可能性はあるかもしれませんね。
結局、音楽って、演奏していて自分が面白いと感じているときは大体、共演者の方も面白く感じてる場合が多いと思います。‘静寂’みたいなジャズ理論を用いない音楽を作る時の切り口みたいなものを自分で見つけられた事が、一緒に出来た理由というか。結局のところ、ジャンルそのものを作って行くっていう意識が強くないと行き詰まると思うのです。具体的には、こうやって一音弾けば、次に何やろうという景色が見えるようなスペースを作るということを意識すれば、誰かが入って来易くなる。
これは灰野さんが提唱している新しいグルーヴだと思います。どうやってスペースを生み出すかという事について、即興演奏やフリージャズみたいな演奏形態がほぼ語り尽くされてそこから先に行く時にどうしようかという時に`空間`を作るという事がポイントになるんだと思います。例えば1.2.3.4というインテンポのリズムがあって、2と3の間をものすごく開けたらどういう事が起こるか、3と4の間隔はそれよりもう少しだけ短くしてみようとか、それを連続性でいかに自分とその隙間を捉えるか、「僕はその間に入りたいんだ」と言われた灰野さんの発言になるほどと思いました、つまりあるスペースに任意の1音を挿入することによってかつて聴いたことのないグルーヴが生まれるのです。インテンポじゃなくてもそこにグルーヴが存在する。等間隔じゃないリズムのインパクトですね。

●リズムの間隔へのアプローチの新しさが私も他にないなと感じていた部分です。
昨日のProto(映像作家ササキヒデアキ氏とのユニット)のライブでも、ナスノさんは音をしきりに切っていましたね。それも同じテンポじゃなく、違う間でバシッとカットしていたのが印象的で、不思議な無音状態の場面なんかもあって新鮮でした。
多くの音響系の人は音を絶えず、つなげて反復させます。それで酔わす快楽を作っていますが、その意味でカットと変調というのが他にはないナスノさんの個性だとも感じました。

まず隙間を有効にするためのコラージュ的アプローチをいつも意識しています。あと、内橋さんの影響が強いですけどカットアップとか。ジョンオズワルド(John Oswald)、あの人はすごく反復させるけど微妙にデ・チューンしていくような音楽を作りますね。あと、シュトックハウゼンの電子音の作品は自分がやりたい事に似てるなと。すごい隙間が多いんですけど、音の存在感があってあんまり無機質な感じがしないんです。あと、ダークな感じで言うと、ヘンリーカウ(Henry Cow)とか好きなので、自分のマイナー感というのもイギリスの70年代のレコメン系の影響もあると思います。

●ヘンリーカウやアート・ベアーズは他のジャズロックやプログレなんかとトーンも違いますよね。政治色もありますが。

そうですね。私は単にサウンド面での影響ですが。
あの暗い閉塞した感じが好きです。楽曲の複雑さやテクニックというよりもダークなトーンそのものが好きです。その辺りの音楽に興味を持つきっかけは大友さんの影響が大きいです。グラウンドゼロのヨーロッパツアー時に、競演のクリスカトラーやダグマークラウゼを目の当たりにして衝撃を受けました。

●昨日のライブでもナスノさんはササキヒデアキ氏の映像を見ながら演奏していると感じました。先ほど、この手のア-ティストは単に曲を弾くというよりもイメージの方を向いているという話があり、ナスノさんもまた、ブログなど拝読しますと映画の話もよくでてきます。音楽でイメージやビジョンを伝えるという意識はありますか

すごくあります。やはり映像から受ける影響は大きくて、視覚ってやはり強いですよね。昔、レコードジャケットをずっと見ながらレコードを聴いて、いろいろイメ-ジした頃の感覚というものからいまだに切り離されずにいます。ヒプノシスなんかはやはり今見ても素晴らしいですよね。

●それは我々の世代はみんなそうですね。ジャケットと音が一体だったんですね。ピンクフロイドをi-podとかで聴いても魅力が半減するのはやはり、音楽とジャケットアートとが一体だったからです。視覚が音楽の一部というか、切り離す事ができないものだった。

そうです。
音を聴く事で違う色彩感の扉が開くという、演奏者と聴き手のインプット、アウトプットは逆なんですけど、景色を見て音に還元してゆく、あるいは自分が出した音をみなさんが聴いた時に色彩として捉えてもらえるという、そうゆうイメージの循環が生まれたら、初めてナスノの音楽を聴いてもらう価値が出るんじゃないかと思います。
たぶん、私の音楽は音だけ聞いてもまったく捉えどころがないというか、朝聴いて元気になる種類のものでは決してないし(笑)、かといって悲しい時に聴く音楽でもない、取り扱い注意の音楽だと思います。まあ、リスナー自身が`違う自分の扉をあける`というか自身の違う部分を認識する、そういった聴き方が的確かもしれません。

●かつて、‘知覚の扉’なんていうドアーズの由来になったコンセプトもありました。
大げさに言うと意識の変容なんて事になるんでしょうが、ナスノさんの音楽はイメージの開拓、未だ見ぬビジョンや自分の内奥を覗く契機のようなものを喚起させますね。
アルバム「静寂」の内側ジャケットに記されたナスノさんのメッセージにも興味ありまして、音楽が楽器や楽譜と自分の往復ではなく、確実に‘あなた’を意識したものであり、そのつながりを目指すものという明確な意識を感じました。しかもあそこで書かれている文章はかなり哲学的というか詩的な表現をされてますね。言葉によるメッセージについてはどうお考えですか。

言葉に関しては 音楽の表現とは切り離したいと思っています。つまり政治的なものとかポリシーなどを音楽と一緒に出すのは好きじゃないです。ポリティカルな要素と音の相乗効果的な意識は全く意図していなくて、音楽以外でないと言い表せない部分、音楽じゃないところで表現したい部分は文字情報などで出さないといけないと感じています。

●なるほど。フリージャズや現代音楽なんかも言葉がよく付随するんですが、多くの場合はその音楽を説明するための言葉であり、解説するためのセットであったりします。ピンクフロイドが音とジャケットアートが一体なら、現代音楽は音と言葉が一体ですね。概念というか。ナスノさんはそうではなく、音楽で表現できえない箇所のみを言葉にされているという意識ですね。

私は世間で問題になっている社会的、政治的な事象に安易に反対と言い切れない人間なんです。しかもそれを音楽で発信する事などさらさらできない、というのが正直なところなんです。従って政治的な事について無責任な発言は控えたいというスタンスを保とうとしています。アンダーグラウンドな音楽って平和な時代だから存在出て来ているとも思うし。私がやりたいのは、純粋に私の中から出てくるものだけを形にしたいと思います。それはアンチではなく、肯定的な感覚のものなんです。それが自分にとっての`リアル`です。ブログなどはそういう存在にしたいと思っています。

●音楽の話に戻りますが、テンポの事ですが、テネレヴンのアルバムにある超遅いテンポの曲が印象深く、あのテンポをやるバンドとかアーティストは今、いないような気がします。グルーブの反対というか、独特ですね。

吉田さんと長くやってきて(是巨人、the world heritage等 )、オーディエンスは変拍子の速度を究極的に上げると昂揚する、っていう事が感覚としてわかったんですね。インド音楽やジプシーの音楽などもその種類なのではと思ったりしますけど、激しくて速いテンポの中にある種のメロディが絡んだ時に人間ってすごく昂揚しますね。でもバンド形態において、それとは違うやり方で人を昂揚させる術はないものか?それがテネレヴンで試みている遅いテンポの音楽です。もちろん、70年代のヨーロッパの多くのバンドは既にやっていますが、改めてそうゆう切り口で`今`を表現できないかなと思っています。
でも最終的にあのバンドは即興のグループにしたいと思っているんですよ。

●えっ そうなんですか。

はい、実は。
即興のための共通言語を培う為に、その為の作品を作って、あれをみんな(メンバー)が共通言語になった時に、それを取っ払って演奏した時にこのメンバー、グループじゃないとできない即興の在り方が生まれると思っています。ですからこれまでは曲を中心にやって来ましたけど、それは共通言語をメンバーが持つためのトレーニング的意味合いも強いんです。ただどうしても曲という形式の引力が強いこと、更にはメンバーから今一度曲をやりたいというリクエストもあって、曲から即興への移行する速度が性急すぎたという反省点もしばしば表面化しました。

●実際、すでにライブの中で即興パートもやってるんですね。

ええ、もうやってます。でも自分も含めたメンバー間の意思疎通に欠ける部分も当然あって、私が急ぎすぎた部分ですが、まだまだ発展途上ですね。
やりたい方向性の微妙なニュアンスが伝わるには時間がかかる、と直感的に思います。ともあれアルバムは独自の共通言語を生み出す為に制作した楽曲作品です、やはり最終的には即興のバンドにしたいですね。

●ライブでやってみた感触はどうでしたか

私は楽しかったですが、他のメンバーは・・・

●けっこう抑制が試されることになるんでしょうね。聴く体勢というか。聴いて反応するみたいな世界の究極のような感じでしょうか。けっこう、演奏者は弾きたがるでしょ。

そうですね。自分からしてそこはまだまだですね。どうしても音の会話になるんですが、音の会話っていうのは即興の中では割と初期段階だと思うんです。

●えっ そうですか。それはどうゆう意味で。

演奏者それぞれがまず音楽そのものを構築します。同じ時間が経過する中で全く別の内容の流れの中に、突然瞬間的に音や意図が合う、同じ言葉が同時に発せられたりする、それがいわゆる即興の本当のマジックだと思います。

●なるほど、アルタードでそのようなマジックはないですか。「ライブイントーキョー」(2011)に、そんな瞬間があったような気がしましたが。

内橋さんは目指してると思います。「それぞれが勝手でいい」と以前、よく言われました。最近は言葉では言わなくなりましたが、でも彼の言う`勝手`あるいは`適当`というその意味は実は深くて、それぞれが相当の覚悟で音楽を瞬間的に構築していかなければならない、ということを意味していて自分の音楽をつかみ取るための`勝手`という言い方であって、それを実践して行くということは非常に高い精神性を必要とされると思うのですが、いつも共有していたい部分です。

●会話が成立すればそれがもう立派な即興と捉えるか、あるいは、その先には同時に同じ音が鳴るみたいな共鳴の領域があって、それこそが即興が発展した形ということでしょうか。

灰野さんがDJをやる時に違うCDを4枚同時にかけて、同期させるその手法にちょっと似ているかもしれません。私の回りにはジャズ系ミュージシャンも多いのですが、ジャズあるいはジャズ的インプロはどうしても会話(おしゃべり)に焦点が向いてしまっている気がして。

●インタープレイというかいわゆる‘応酬’ですよね。

それはまったく否定しないんですが、それが`気持ちよかった`という結果で満足したくない。

●と言いますと

気持ちよさにもいろいろあると思うのですが、今日もこれからフリージャズの大先輩とのライブで間違いなく即興部分でのキャッチボールがすごく楽しめると思うんですが、その先にある新しい響きを生み出したいという気持ちの方がかなり強いです。

●そのお答えで想起するのはやはり灰野敬二さんの不失者、あるいはラリーズなどの音楽ビジョンでしょうか。それらはやはり、‘先の意識’、あるいは‘向こう側’といった事をサウンドが図らずも志向していたように感じます。それは60年代では人によってはドラッグによってそうゆう意識を持ったのかもしれませんが、ドラッグなしの時代において、そのような事を意識している人というのはナスノさん以外にもそれほど、いないんではないですか。

まあ確かに、でもそれが何になるの?という気もしてるんですが。(笑)

●いや、それを言うと身も蓋もないんですが(笑)
では、最後にナスノさんから見て、注目するインプロヴァイザーはおられますか

そうですね。今までお話の中で名前が挙がってない人で言うと大島さんですかね。

●大島輝之さん。

はい。彼の出す音って一聴すると有機的な部分が薄いような印象を受けるのですが、そのサウンドには一切冷たさや拒絶を感じないんですね。排他的じゃないんです。そこがすごく柔らかくて面白いと思いました。アウトプットはこう言ったら失礼だけどぶっきらぼうな感じなんですけど、即興演奏ではもちろん化学反応が起きたり起きなかったりその時々ですが、その結果に対して寛容な土壌をいつも作ってくれていると感じます。前出の`勝手さ`みたいな考え方にも繋がるのですが、そんな音楽の実践者は本当に少ないと感じます。

●今日はどうもありがとうございました。

2015年9月 渋谷

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